「終活〜変えられるのは自分と未来」

11/10/2015

 

 

 

 

「終活〜変えられるのは自分と未来」

大柴譲治 牧師 

 

 

 

 

 

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1.1. 最初に智恵の言葉を申し上げましょう。

 

1.2. 「私の長寿の秘訣は三つあります。
①お茶と②バナナ、そして③うがい(イソジンによる)です」。

 

1.3. これは、2012年12月9日に105歳で天寿を全うされたルーテルむさしの教会員の福山春代さん(牧師夫人でした)が、白寿(99歳)の祝会で語ってくださった言葉です。

 

1.4. これはある意味とても理に適った発言でもあります。

 

1.5. 「緑茶」には殺菌効果があると共にタンニン(カテキン)が豊富に含まれ、よくお茶を飲むことで新陳代謝が促進され、身体のみずみずしさが保たれるという側面もありましょう。

「バナナ」はバランスのよい栄養食品で、繊維質が多く含まれていますので整腸作用もあります。ミネラルも豊富で、若さを保つアンチエイジング作用(抗酸化作用)もあるようです。

「イソジン薬によるうがい」は風邪の予防であると共に、首の運動という側面もあったと思います。

 

1.6. その三つに加えて私は、そこには、④「好奇心とユーモア」、⑤「健脚」、
そして何よりも⑥礼拝出席を大切にする「キリスト信仰」があったのだと思います。

 

1.7. 教会に来ることができるということは神さまの祝福です。特にルーテル教会の礼拝は式文を使いますので立ったり座ったりして司式者と交唱します。また讃美歌を何曲も歌います。これが呼吸を整えてくれるので、(霊的にも肉体的にも)健康に良いと思われます。

 

1.8. 「安息日を覚えてこれを聖とせよ」と十戒にはありますが、主日礼拝に参加することはQOL(Quality of Life/命の質)を高めるだけでなく、一週間のリズムを整えることにもなります。信仰の先輩たちから生きるための智恵を学ぶこともできます。

 

1.9. 大きな声では言えませんが、私は牧師になって来春で30年なのですが、このように「礼拝」には「御利益」がたくさんあるよう感じています。

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2.1. 「人生には午前の時間と午後の時間がある。」(カール・グスタフ・ユング):
午前中は懸命に勉強し、仕事をし、家庭を築き、子育てをするという「Doing(行為)の時」でありますが、それに対して午後は、それらが一段落して、魂を豊かにしてゆく「Being(存在)を大切にする時」なのです。 

「老いは人生の統合の時期」(エリク・エリクソン)、
「死は成長の最終段階」(エリザベス・キューブラー・ロス)。

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3.1. 「ターミナルケア」という語は日本語では「末期医療」とか「終末期ケア」とか訳されることが多かったと思います。
確かに「ターミナル」という語には「終点」とか「終着駅」という意味がありますが、同時にそこには「分岐点」とか「乗換点」という意味もあるのです。

 

3.2. 例えば駅前の「バスターミナル」。
それは一つの路線の終点であると同時に、別の新しい路線の出発点でもあります。

 

3.3. そのように「ターミナルケア」とは「終わりに向かっての準備」ではなく、
そこから始まってゆく「新しい生命に乗り換えるための準備の時」でもある。

 

3.4. 復活の主を信じるキリスト教では、死は終わりではなく、
墓は終着駅ではありません。それは永遠の命に入るための門です。

 

3.5. 「先生、もしかすると間違っているかもしれませんが、
人生は神さまと出会うためにあるのではないでしょうか」
(1998年の春にガンで47歳の生涯を終えてゆかれた一人のむさしの教会員・
松下容子さんの言葉)。

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4.1. 北海道開拓の村でのエピソード:
飢えと寒さと病いが襲う酷寒の地で、最後まで耐え抜いた開拓団が
二つあったことをボランティアから聞いたことがあります。

 

4.2. 一つは仙台から入った伊達藩で、もう一つはクリスチャンの開拓団(「赤心社」)。
二つの共通点は「主君に対する忠誠心:主君・伊達政宗と天地創造の主なる神」。
自分の外に自分を支えるものを持つことが逆境に耐える力となるというのです。

 

4.3. ハッとしました。恐らくこのブラジルという移民の地で歯を食いしばって頑張ってこられた皆さんにも同じ思いがおありだと思います。
何が自分を支えてきてくれたのか。

 

4.4. 家族、使命、信仰、夢(ビジョン)。。。
そのあたりを分かち合ってゆくことも、私たちの「終活」の大切なテーマになることでしょう。

 

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5.1. 「この世を動かす力は希望である。もし収穫を信じることがなければ、
農夫は畑に種を蒔かないであろう」(宗教改革者マルティン・ルターの言葉)。

5.2. 「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:3b-5、使徒パウロの言葉)

 

5.3. 「希望」があるから私たちは困難な状況を乗り越えて行くことができるのです。

 

5.4. 第二次大戦中にユダヤ人捕虜収容所を体験したビクトール・フランクルが
『夜と霧』という本の中で、収容所では最初に倒れていったのは、
体力のない人たちではなくて、希望を失った人たちだったと報告しています。

 

5.5. 絶望は私たちに生の意味を見失わせる「死に至る病い」なのです。

 

5.6. その本の中でフランクルは、不条理で無意味な苦しみに「天との契約」を結ぶことで意味を賦与していった一人の人について書いています。

 

5.7. 彼は自分の苦しみを神への捧げ物と位置付けました。それを神が
受け入れることを通して自分につながる家族に祝福を与えてくださるようにと祈ったのです。そうすることで、
自分の苦しみに意味を賦与し、それが生の希望に繋がったのでした。

 

5.8. フランクルは言うのです。
人生に意味があるかという問いは、その設定自体が誤っている。
私たちが人生に問うのではなく、人生が私たちに問うているのだ。
あなたはそこにどのような意味を見出すのか、と。
主体のコペルニクス的転換です。

 

5.9. 2011年の3月11日の東日本大震災以降、
フランクルの思想は繰り返して新聞などで引用され、
私たちに希望を与えてくれました。

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6.1. 「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」
という言葉がカウンセリングの世界ではよく語られます。
その通りだと思います。

 

6.2. 私たちは人を変えたいと思っても、なかなか思うようにゆかないことを、
体験的に知っています。確かに変えることができるのは自分だけなのです。
しかし本当にそうなのかとも思います。

 

6.3. 確かに「過去に起こった事実」は変わりません。
しかしそれをどう受け止めるかという自分の受け止め方が変われば、「過去の持っている意味(それを私は「真実」と呼びたいのですが)」は変わります。
「他人」は変えられませんが、自分が変わる事でその人との関係は変わってゆきます。

 

6.4. 人間関係とはこの「つるしびな」(モビール)のようなもので、
少しどこかを触ると全体が揺れ動くようになっているからです。
自分が変われば関係が変わりますので、結局、他者も変わってくるのです。

6.5. そう考えると自分が変われば、過去も他人も未来も変わるといことになります。
「自分が変わりたい」と思うかどうかが問題です。

 


7.1. 「神はその独り子を賜るほどにこの世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。

 

7.2. 神は私たちに御子イエス・キリストを派遣して「I love you!」という
メッセージを送ることで、私たち自身がその存在(Being/presence)を
刷新してゆくことを望んでおられます。

 

7.3. キリストを信じることで私たちは根底から変えられ、新たにされてゆきます。

 

7.4. ルーテル教会の働きの上に、そして皆様の人生の上に、豊かな祝福をお祈りしています。

 

7.5. ご静聴ありがとうございました。

7.6. 「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(2コリント5:17)
 


Autor(a): 大柴譲治 牧師
Âmbito: IECLB
ID: 35397
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